不器用な家族
- Yoko Patino
- Dec 2, 2017
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今日は娘と一緒に少しだけですが、私がお客さま役になって英語やフランス語でお客様に対応する練習をしました。
実は数ヶ月前から娘がアルバイトをするようになって、お家で接客の練習をしています。間違えてミスしてしまうことも結構あるみたいなので、少しでもミスをなくすために家でシュミレーション。 ミスを色々してもスタッフさんも店長さんもみんな優しくフォローしてくださってるみたいで、いい職場に恵まれているようでよかったです。 土地柄も関係しているのか結構外国人のお客さまが来るそうです。
一緒に練習していて、実際に声に出して、自分の伝えたい言葉を伝えるって大切だと感じました。
こういうとき、どう伝えたらいいのかなという場面があったりしました。
日本語では自然な表現でも外国ではそんなふうに言わないという場面もありました。
だから、言葉を発してみないとわからないし、同じ状況でも日本と海外では違う対応をするなと気付けたりして。 その後、一緒にフランス語の映画を観ました。 最近は一緒にフランス語の勉強のためになるべくフランス語の映画を観るようにしています。 その映画の内容が、すごく悲しい内容でした。
死に直面している主人公が本当のことを家族に言えず
家族との距離や溝が深くて
なかなかうまくコミュニケーションができないのです。 みんな一方通行みたいな。 言葉を投げかけようとしても誰もしっかりとは受け止めてくれません。
みんな不器用な感じで、それでもその不器用さ、不完全な状態の中にも愛は存在していて 切ないけど、みんなもがきながら
それぞれの役割を人生の中で生きている その様子を映画の中では表現されているようでした。
映画の予告編の中にこんな言葉がありました。 人は誰しも、愛し、愛されたいのです。
分かり合うのは難しいけど、いつかきっと届くはずです。
この言葉にものすごく揺さぶられました。 私もみんなと分かり合いたいと常に思っていても、なかなか分かり合えない相手もいたりするので、この言葉、すごくズキューンと来て、涙が出てきそうでした。 いつか届いたら嬉しいです。 いつかきっと届きますように。
